教室の窓から見える空が、オレンジ色から群青色に侵食されていく。
色素の薄い猫毛をぴんぴんとあちこちに跳ね返らせた少年は、その様子をただじっと見つめていた。
暮れる夕日。
輝く一番星の名前は、金星。
キラキラとその様を琥珀色の瞳に映しこみながら、彼は軽く息を吐く。
―――キス、最初にしてから、今日で、何日目だっけ、な。
最初のキスから何日目の"何日"の部分はそっくりそのまま、少年が心寄せる恋人に抱かれたくなった日数を表す。
もう何日そう思ったのか、もう何回そう思ったのか、彼にはわからなかった。
そのぐらい切望していたし、けれども、毎日キスはしていた。
だから、だろう。
彼の中で指折り数えていた日数が、麻痺してしまったのは。
ソレぐらい幸せで、同時に妙な焦燥感と隣り合わせだった。
もしかしたら少年の心寄せる、あのタレがちな黒い目の恋人は、これ以上は踏み込んできてくれないのかもしれない。
きっと彼のことだから、いろいろな、ソレこそ世間一般的な常識から、彼らが今最も熱中している野球のことまでぐるぐると考えて、考えすぎて、もしかしたら、踏み込んでこないかもしれない。
そう思うと、少年は心の奥のほうがぎゅうっと締め付けられた様に苦しくなって、涙が出そうになる。
少年は、もうひとつだけ息を吐いて、その思いをグイグイと胸の奥にしまいこんだ。
そろそろ彼が、少年が心寄せるタレがちな黒い目の恋人が、やってくるころだから。
最近少年と恋人は、特に示し合わせたわけではないけれど、教室で待ち合わせをするようになっていた。
部活の仲間には結構怪しまれている気はするのだけれども、そんなことを気にする少年ではなかったし、なにより、感情が顔に出やすい恋人は何ゆえか自信満々に「バレるわきゃねぇよ」なんて息をまく始末。
それには思わず噴出してしまった少年だが、彼が「バレるわきゃねぇ」と思っているなら、そう思わせておけばいいのだ、と少年なりに配慮(なのかは定かでない)して、だから結局のところ、もしかしたら部活仲間にはすでにばれていて、暗黙の了解でもできているのかもしれない。
けれどそれも、少年にはどうでもいいことだった。
少年はただ、切望していた。
まるでこの教室から見える夜の紺色に侵食され行く夕焼けのように、恋人に侵食され行くことを、ただ、切望していた。
「三橋ー」
少し低めの、どこか角ばった声が少年―三橋を呼んだ。
三橋は見ていた空から勢いよく視線をそらして、まったく正反対方向にあるの教室のドアを振り返った。
思ったとおりに、私服に着替え終えたタレがちな黒い目の恋人が、やや照れくさそうにこちらに手を振っている。
とたんにさっきまでのモヤモヤした感情が、復活した。
「阿部くん」
「ごめんな、待ったか」
「ん」
少年はソレまで座っていた教室の机からヒョイッと降りて、別の机の上においていた自分のバックを肩に引っ掛けた。
ガタガタと机をおざなりに直してから、教室のドアまでほんのちょっと助走のつもりで、走る。
走って、目を丸くした恋人―阿部に、ガッと抱きついた。
勢いがつきすぎたせいで"抱きついた"というより、タックルに近かったけれど。
「ちょ、みは、おま、なに、何やって」
「ホントは、もう、ちょっと、待ってる・・・待てるつもり、だった」
三橋は一瞬だけ阿部の背中(というか腰)に回した両手のこぶしをグッと握ってから、バッと顔を上げた。
瞬間にぶつかる、夕焼けよりも濃い琥珀と夜よりも暗い黒。
「けど、ごめん、オレ、我侭だから」
夕焼けよりも濃い琥珀の瞳が、ギラギラと何かに濡れて、揺れていた。
ソレを見とめた瞬間に、いぶかしむ色を乗せていた夜より暗い黒色の瞳がゆっくりと見開いて、その黒い瞳の奥の奥のほうで、僅かな、仄かな光を燈した。
その光に気がついた三橋は、早く早く、早く言ってしまえ、という気持ちに流されるがまま、口を開く。
「阿部くん、オレをだ」
抱いて、と続くはずだった言葉は、阿部の唇に阻まれて、消えた。